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高松高等裁判所 昭和56年(う)298号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

押収してある猟銃一丁(原審昭和五一年押第一八号・当審昭和五六年押第一三二号の一四)、散弾実包アポロ一二番二七発(同号の九ないし一二)、空薬莢一六個(同号の五ないし八、一五)、及び空薬莢等一袋(同号の一三)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、高知地方検察庁検察官検事田邉信好作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、要するに、原判決が本件殺人及び殺人未遂の公訴事実を認定したうえで、被告人がその当時パラノイア(妄想症)もしくは精神分裂病に罹患していたもので、その病的妄想状態によつて本件各犯行に及んだものであり、その是非善悪を弁別する能力及びその弁識に従つて行動する能力を全く欠いていたもので、刑法三九条一項にいう心神喪失者と認めるのが相当であるとして無罪の言渡しをしたが、これは心神耗弱者の認定ができるのに証拠の評価を誤つて責任能力を否定したものであつて、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、ひいては刑法三九条一項の適用に誤りがある、というのである。

そこで記録及び当審における事実取調べの結果により検討するに、被告人が本件公訴事実記載の日時・場所において、同記載のような方法で乾亜紀枝ら六名を殺害し、小松厳ら三名を殺害せんとしたが未遂に終つたことが証拠上明らかであるところ、原判決は、所論指摘の理由により被告人の責任能力を否定したのであるが、当裁判所は、関係証拠に照らし、被告人がその当時心神耗弱の状態にあつたもので、心神喪失の状態にあつたものでないと認定する。以下その理由を示す。

被告人の生育歴、社会歴、性格、病歴、本件犯行の計画・準備状況などについては、原判決がその理由三項において適切に要約して判示しているとおりであり、それに付加したり訂正を必要とするような事柄は格別見当らない。そこでまず初めに、これまでに被告人についてなされた精神鑑定の結果により、本件犯行時の精神状態を検討する。

(一)  起訴前における医師矢野勝作成の鑑定書謄本(原審第五回公判調書中の同人の供述部分、及び当審第六回公判調書中の同人の供述部分を含む。以下「矢野鑑定」と略称する。)

「鑑定主文一項

被疑者は、殺人並びに殺人未遂被疑事件当時、精神分裂病(妄想型)を罹患しており、その犯行は分裂病性の変化によつて招来された人格の深層における分裂・歪曲・解体等の異常な精神状態のために影響されるところがあり、特に主観的異常体験としての妄想及び生への欲求の喪失により自己の終末感や内的不安等の分裂病心性の病徴が直接犯行の動因であつたと思われる。従つて、自己の犯罪行為に対しての真の認知・意思の自由には障害があつたと考えられる。」と鑑定し、その責任能力に関する意見として、「〈症状として明らかに病的異常体験に支配されている場合は勿論であるが、そうでなくても精神分裂病が慢性化して特殊な人格変化を示している場合でも、診断が確実である限り、殆んど常に心神喪失と考えるべきであろう〉という司法精神医学的見解が実際になじまない性質のものではなかろうかという疑問を捨て去ることはできないのである。」としつつも、その見解に従い心神喪失の判断をした。

なお、同医師は、後記浅井鑑定がパラノイアと診断したことから、当審において前記診断を訂正したが、それによると、「昭和四一年ころに治療中であつた精神分裂病が分裂病性の異常性格を残して治り、その後にある種の環境の中である種の体験をしたことによつて発展していつた異常体験反応のパラノイアというふうに理解することが、あながち間違いではなかろうというふうに考えております。」(当審証人)ということである。

(二)  原審鑑定人逸見武光作成の鑑定書(原審第七回公判調書中の同人の供述部分を含む。以下「逸見鑑定」と略称する。)

「鑑定主文

1  被告人は、自閉性、観察―被害妄想を主症状とする精神分裂病者である。

2  被告人の精神分裂病は、発病後、少なくとも一〇年余り経ているものと推定される。

3  本件殺人・同未遂事件は、被告人の観察―被害妄想に起因すると判断される。

4  被告人の精神分裂病的人格崩壊は、発病後の期間に比べて著しいとは云えない。」

と鑑定し、精神分裂病の類型としては「妄想型と考えて差支えない」(原審証人)、責任能力に関する意見として、「一般的な日常生活におきましてはコントロールはできる人です。しかし、こと妄想に関しては、これは妄想に対する確信の方が社会常識・社会規範、こういつたものを超えた確信であるというふうに考えます。」(原審証人)ということであり、心神喪失の判断をした。

(三)  原審鑑定人浅井昌弘作成の鑑定書(同人に対する原審証人尋問調書を含む。以下「浅井鑑定」と略称する。)

「鑑定主文一項

被告人は、本件犯行当時、パラノイア(妄想症)に罹患しており、迫害妄想のために本件犯行を行つたものであつて、是非善悪を弁別し、それに従つて行動する能力に欠けていた。」と鑑定した。

(四)  当審鑑定人濱義雄作成の鑑定書(当審第四回公判調書中の同人の供述部分を含む。以下「濱鑑定」と略称する。)

「鑑定結論一項

被告人は、特に悪質な遺伝性負因を享けていないが、幼少時の生育事情に複雑な問題があつたためと考えられる、知能は「通常知」へ発達し得ながら、性格は著しく偏奇発達、「重度な、うつ性の性格異常(精神病質と同義)」と成つた。このためせつかく国家公務員として勤務するまでになりながら、それに適応し難く「軽症うつ病」にからまれて再度にわたり精神科入院、その他問題行動を表わした末、結局退職に至つた。昭和四二年一一月両親と共に閉居勝ちな生活を送るようになつた状況にて漸次数年にてその「重度性格異常」を強め、被害妄想を主症状とする「パラノイア」発症に達した。その「パラノイア」は、妄想症状によつて判断力が圧殺されるに至らず、強く制約されるに止まる『軽度』なる病型であつたが、その病状増悪経過の極みにて本件犯行へ失した。犯行時には右述病状により理非弁別力を有しながらそれに従つて行動する能力が著しく減退、限定責任能力が妥当と考えられる高度異常な精神状態に在つたものと解する。」と鑑定した。

(五)  当審鑑定人福島章作成の鑑定書(同人に対する当審証人尋問調書を含む。以下「福島鑑定」と略称する。)

「鑑定主文

一  被告人の現在の精神状態は、精神分裂病の軽度の欠陥状態にある。

二  被告人の本件当時の精神状態は、上記の現在の精神状態とほぼ同様であつたが、本件犯行の被害者らに対して、被害妄想・関係妄想などを抱いていた。それゆえ、精神医学的にみると、自己の行為の是非善悪を弁識する能力およびその弁識にしたがつて自己の行為を制御する能力が、いちじるしく限定されていた状態にあつたと判断される。」と鑑定した。なお、その病型についての診断では、精神分裂病の四類型の中の単一型(三分類法では破瓜型)が最も近いとし、かつその妄想について、「本件犯行前の被告人が周囲の人々に関係妄想や被害妄想を抱いていたことは、被告人の供述や問診所見から見て事実であつたと考えられるが、この妄想は精神分裂病にだけ認められる真正妄想(原発妄想、心理学的に了解不能の妄想)ではなく、被告人の性格と当時の生活状況から容易に了解が可能な妄想様観念(続発性妄想、二次妄想)である。」としている。

以上のとおり、被告人の精神状態については、精神分裂病と診断するもの(訂正前の矢野、逸見、福島)と、パラノイアと診断するもの(訂正後の矢野、浅井、濱)とに鑑定結果が分かれている。その後者の立場に属している浅井鑑定は、その診断において、「精神分裂病の妄想型は、破瓜型や緊張型に比べて高年令(三〇―三五歳前後)に発病し幻覚妄想を主徴とし、滅裂思考や感情鈍麻は比較的少ないが後には次第に病勢が進行してくるものをいう。」「パラノイアとは、確固として持続的な妄想が緩慢に次第に発展して増強し、体系的な妄想を形成しているが、思考・意欲・行為の首尾一貫性(まとまり)は保たれているものをいう(クレペリン、一九〇四)。パラノイアの基礎には素質的ないし性格的なものがあり、何らかの体験を契機にして妄想が次第に形成されて行く。パラノイアは通常幻覚を伴わない。また速かに人格荒廃に陥るものは除外される。」「一般的には、教科書などの記載にもみられるごとく、妄想を持ち易い性格の人が何らかの事柄を契機にして体系的な妄想だけを長期間にわたつて次第に発展させるが、幻覚や作為体験などはなく、思考の支離滅裂や人格崩壊のみられないような稀な症例をパラノイアと呼んでいる。」「被告人についてパラノイアという診断は妥当すると考えられる。」としている。すなわち確固として体系的な被害・迫害妄想が形成されていること、幻覚(幻聴)や作為体験がないこと、及び思考の支離滅裂や人格崩壊が見られないことなどが、その診断の根拠になつているもののようである。しかし同鑑定人は、被告人の精神状態を精神分裂病(妄想型)と診断する考え方もありうるとしている(浅井証人)。次に濱鑑定は、「凡そ「精神分裂病」は悪性な精神病で長期慢性にわたりやすい傾向が強く、一たん入院受療すれば長期に流れやすく、社会復帰もまた困難になり勝ちである。」「(精神分裂病・妄想病型は)幻覚妄想症状が著しいが、自閉性・情意鈍麻・支離滅裂症など人格障害症状を基盤にし、しかも進行性・欠陥化の傾向の強いもので、被告人の場合の病状・経過から確然と鑑別しうる。」としているが、そこにいう精神分裂病は、慢性進行型の速やかに人格荒廃に至るような経過を示す型に限定されているようであつて、「人格崩壊が発病後の期間に比べて(発病後少なくとも一〇年余り経ている)著しいとは云えない」「多少の崩れは否定できないだろうと思います。しかし非常に軽いものだと思います」(逸見鑑定、福島証人も同趣旨)、「青年期に発病した精神分裂病の病勢が一応収まつたあとの残遺状態、すなわち軽度の欠陥状態」にある(福島鑑定)とされるような型をその病名から除外する立場での鑑別診断であると思われるのであり、福島証人によると、濱鑑定の情報のみを資料としても精神分裂病と診断することが可能であるということである。また、訂正後の矢野鑑定は、精神分裂病(妄想型)の診断を全面的に撤回するとか、パラノイアの診断を積極的に主張するという意見でないことが明らかであり、現に当審での矢野証人によれば、パラノイアと軽症の妄想型精神病の鑑別が事実上不可能であるとする学者が少なくないこと、及び被告人の主治医としての面接において、「話し中に突然黙秘が現れると、或いは話し中にハミングが出ると、或いは話し中に訂正の独語が出てくると、或いは話し中に掌に何か文字を書いておるかのような奇妙な動作が現れる、或いは話し中に内容にそぐわないにたにたした笑いというような表情が散明ママされることが、しばしばあります。」「私が(昭和)五六年以降、彼と約二年余にわたつて一緒に生活してみて、おそらくパラノイアであれば出ないであろう、先ほど述べましたような独語、空笑、ハミング、奇態な振る舞い、こういう風なものが、おそらくパラノイアという分別のある全人格を犯されない妄想のみを主体とした病気には、おそらく出ない症状だろうと。それがある限り、彼にはこの症状は、彼が作為的にしろ無意識にしろ、こういう症状を呈しておるか、ないしは精神分裂病の奇態な症状ではなかろうかという一抹の疑問も現在なお持つておるわけでございます。」と述懐されているのである。

ところで浅井鑑定に先行してなされた逸見鑑定は、パラノイアとの鑑別について、「検察官が主張する乳幼児期からの生育環境の歪みに由来する人格発達の障害の結果と考えるなら、被告人の妄想は、非社会的性格者の反応性思考異常と理解でき、これが数年持続すれば、パラノイアと呼ぶことになる。しかし、パラノイアは多くの場合、生産性や創造性は維持できるものである。被告人の場合、本件までの約一〇年間、彼の能力や経歴にふさわしい生産性や創造性を現していたとは云えない。ただし、被告人が一応は常識的行動をとり得る点や、温やかな環境のもとでは、他者と自由に対応できる点は、たしかに一〇数年を経た精神分裂病者としては珍らしいと云える。観点を変えれば、このような人格崩壊の少ないところが、本件を着想し計画して、実行にまで導いた原因とも考えられる。」としているのであり、また浅井鑑定に後行してなされた福島鑑定は、「浅井鑑定書と濱鑑定書において、被告人が精神分裂病ではなく、パラノイアと診断されている事実も、被告人が典型的な精神分裂病でないことから見て、ある程度うなずけるものである。」「鑑定人は、被告人が妄想を持ち、精神分裂病性の人格変化が比較的軽い点では、パラノイアの診断もまつたく当らないものとはいえないと思うのであるが、青年期から問題行動・衝動行為を中心とする症状が出没していること、心理テストや面接所見においてかなりの精神分裂病性の人格変化がうかがわれることから、パラノイアの診断には同意しえない。また被告人においては、妄想自体も通常のパラノイアのごとく確固たる体系をなしていない。このことは、問診所見からも、殺意が最初の水田から本件犯行の近隣の被害者に移動しているような浮動性からも明かであろう。ただし、本件犯行のごとき大量殺人が、時にパラノイア圏(敏感関係妄想を含む)の患者によつて遂行されることは、有名な症例ワーグナーや、本件犯行のモデルとなつたといわれる津山事件に見られるとおりである。」としているのである。

以上の各鑑定を概観すると、前記診断の不一致は、各鑑定人間において被告人の病状に対する判断の相違ということもあるようであるが、むしろ精神分裂病やパラノイアの概念の広狭に由来する点がより多いように見受けられる。当裁判所としては、被告人の責任能力を判定するにあたり、いずれの医学的見解を採用すべきかの判断が必ずしも不可欠であるとは解しないが、前記のとおり、三鑑定が被告人に精神分裂病性の人格変化を認めていること、及び当審での矢野証人が、被告人との面接中において空笑・独語・ハミング・奇態な振る舞いなど、パラノイアに現れないと思える症状を認めていることなどの各点を考慮すると、本件犯行時の精神状態としては精神分裂病(単一型または妄想型)の診断を採用するのが相当であると解する。

次に被告人の妄想が本件犯行に及ぼした影響について検討する。

前記精神鑑定の結果によれば、限定責任能力と判定するもの(濱、福島)と、責任無能力と判定するもの(矢野、逸見、浅井)とに鑑定が分かれている。しかしその後者に属している逸見鑑定も、被告人の人格の崩れが非常に軽いとし、「妄想を除けば現在でも常識ある対応をし得る上に、温和な対人環境のもとでは被告人もまた温和に過すことができる。」としているのであり、浅井鑑定も、「幻覚がなく、思路の障害もほとんどなく、表面的・形式的には日常生活の乱れが顕著でないように見える」としているのであり、矢野鑑定も、「被疑者は、かなりの程度、刑法上の知識や精神医学上の知識を有し、自らの精神障害者の犯罪の有責性についても言及している」のであつて、「外見上は、自己の行為の認知、意思の自由が存在しているかやに見える」ことを指摘し、「一応私は、彼に病的なプロセスと常識でも理解できるものが混在しておると表現しておりますが、こういう人格はないんでありまして、精神というのは単一でありますので、異常なものが支配しておれば、その中に正常なものが加わつておつても、それは全人格は病的なんだというふうに慣例で解しております(原審証人)」と説明しているのである。そしてこれらの後者に属する各鑑定を前者に属する鑑定と併せて通観すると、被告人が被害・迫害妄想に苦しみながらも、その生活の広い分野においては、なお正常な精神状態が支配していたようにうかがわれるのである。

ところで本件記録、殊に被告人の司法警察員に対する各供述調書、検察官に対する各供述調書、原審第一回、第二回及び第九回公判調書中の被告人の供述部分、当審第七回公判調書中の被告人の供述部分(以下、これらの証拠を一括して「被告人の供述」と略称する)によれば、被告人は、昭和四九年ころから被害妄想が高じて本件のような犯行を思いつき、昭和五〇年二月に所持許可を受けて猟銃を購入し、そのころから犯行具体化の時期を秋ごろと定めて同年九月に散弾実包七五発を購入し、暗闇でも弾の装填ができるように練習したり、同年一〇月にそのうち二五発を射撃訓練に使つたりして犯行の準備を整えていたところ、たまたま本件犯行当日の午前中に天気予報で、風雨が夜間に強くなることを知つて本件犯行の決意をし、付近の住民のうちいわゆる迫害者を選別して、彼等が在宅する時間帯をねらい、銃声が他に聞えないように風下に位置する家から順次計画的に襲撃したというのであるが、その犯行に際しては罪の意識やそれが死刑などの重い刑罰に価いすることの認識があり、そのために犯行を思い止まろうとする気持も心の片隅にあつたこと、犯行後の生活については、どうにでもなるだろうという気持でそれ程不安に思わなかつたこと、犯行直後に地区住民の復しゆうと警察に逮捕されることが怖くなり逃走したこと、犯行は終始冷静にほぼ計画どおり実行され、その間の意識も清明であり、記憶も正確に保たれているなど、被告人の行動と認識との間にそごする点がないことが認定できる。

そして右認定の被告人の精神状態、本件犯行の経緯、その間における被告人の認識などを総合すると、本件犯行は、被害・迫害妄想に起因するものではあるが、完全に妄想に支配されていたとまではみられず、なお不完全ながらも正常な精神状態の残された分野における行為であつたと解されるのであり、被告人は、その当時、自己の行為の規範的意味を理解し、その理解に従つて自己の行動を制御する能力が著しく減弱した状態であつたと認められる。それ故、被告人の本件所為についてはこれを心神耗弱者の行為と認めるべきものであるから、原判決には、被告人に限定責任能力を認めなかつた点において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、幼時期から自己の非社交的、かつ内向的性格について劣等感を抱き、極度に他人との交際を避けてきたため、なお更、右性格を増長させてきたところ、自己の性格について益々嫌悪感・絶望感を抱くうち、養母小駕忠雄に「近所の者が気味悪がつている。挨拶ぐらいしてや。」と再三言われたこと、及び、近隣の者が自己に疎遠な態度をとつたことから、右性格の形成・増長は同人らの蔑視によるものであると考え、同人らに敵意を抱くに至り、昭和四九年八月ころから同人らを報復のため殺害しようと決意し、同五〇年二月二〇日ころ、自動式四連発口径一二番の猟銃(原審昭和五一年押第一八号の一四、当審昭和五六年押第一三二号の一四)を購入して、夜間暴風雨に乗じ敢行しようとその機会を窺つていたものであるが、風雨が強まつた同年一一月六日午後八時ころから同九時ころまでの間、順次

第一 高知県安芸市伊尾木五七五番地一三乾高茂方において、実包を装填した右猟銃を用い

一  乾亜紀枝(当時五二年)に向けて二発発射してその右側腹部などに命中させ、同女に右側腹部などの盲管銃創の重傷を負わせ、よつて、翌七日午前一一時一〇分ころ、高知市愛宕町一丁目四番一三号愛宕病院において、同女を右側腹部盲管銃創による内臓損傷により死亡させて殺害し

二  前記乾高茂(当時五一年)に向けて二発発射してその腹部・胸部などに命中させ、よつて、同人をすい臓断裂・肝臓挫滅・腸断裂などにより即死させて殺害し

第二 前記伊尾木三七二五番地四小松厳(当三〇年)方において、右猟銃を用い

一  同人に向けて一発発射してその胸部に命中させたが、直ちに病院に収容・治療を受けたため、同人に約四か月間の入院加療を要する右胸部貫通創・肝臓挫滅創などの傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず

二  小松真喜(当時二七年)に向けて二発発射してその胸部などに命中させ、よつて、同女を心臓破砕などにより即死させて殺害し

三  小松千賀子(当時四年)に向けて一発発射してその腰部に命中させ、よつて、同女を小腸裂創・第四・第五腰椎破損・仙骨破砕などにより即死させて殺害し

第三 前記伊尾木五九一番地五牛窓平通方において、右猟銃を用い

一  牛窓君子(当三八年)に向けて二発発射してその右上腕・右大腿部などに命中させたが、直ちに病院に収容・治療を受けたため同女に入院加療数か月間を要し、かつ、右上肢神経麻痺などの後遺症を残す右上腕挫滅創・右大腿挫滅創などの傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず

二  前記牛窓平通(当時四六年)に向けて二発発射してその右側腹部などに命中させ、同人に右側腹部などの盲管銃創の重傷を負わせ、よつて、同月八日午後七時ころ、安芸市宝永町三番三四号高知県立安芸病院において、同人を右盲管銃創による肝臓挫滅・下大静脈損傷などによる失血により死亡させて殺害し

第四 前記伊尾木三七二四番地谷口陸治方において、右猟銃を用い

一  谷口八重子(当時五八年)に向けて二発発射してその胸部などに命中させ、よつて、同女を第五腰椎破砕・小腸裂創などにより即死させて殺害し

二  前記谷口陸治(当六七年)に向けて発射しようとしたが、同人に右猟銃を奪取されたため、殺害の目的を遂げなかつた

ものである。なお、被告人は、右犯行時に精神分裂病のため心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)〈略〉

なお原審弁護人は、被告人が本件犯行当時心神喪失の状態にあつたと主張するが、前記のとおり心神耗弱の状態にあつたと認めるので、右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一、二、第二の二、三、第三の二及び第四の一の各所為はいずれも刑法一九九条に、判示第二の一、第三の一及び第四の二はいずれも同法二〇三条、一九九条に該当するところ、その情状についてみるに、本件は妄想に起因するとはいえ、計画的に付近の民家四軒を猟銃で襲撃し、六名を射殺し、二名に重傷を負わせるという稀にみる凶悪・重大な犯罪であり、死亡者の中には当時四歳の幼女も含まれているのであつて、被告人の本件刑責は誠に重大であるといわねばならないから、判示第二の三の罪について所定刑中死刑を選択し、その余の各罪について所定刑中無期懲役を選択し、心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条一号、二号により各罪について法律上の減軽をし、死刑については無期懲役を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四六条二項により被告人を無期懲役に処することとし、没収について同法一九条一項二号を、原審及び当審の訴訟費用について刑事訴訟法一八一条一項但書を適用する。

よつて主文のとおり判決する。

(金山丈一 髙木實 藤田清臣)

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